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    2009-03-26 (Thu)
    今年のSHOCKを観て、自分なりに感じたこと
    光ちゃんがあの舞台を通じて何が言いたかったか、
    どうしたかったのか想像してみました。
    (想像と言うよりは妄想です。/(苦笑))f^_^;

    去年、2008年は、特に光ちゃんonlyファンにとっては正に苦行の年でした。
    次から次に起きる様々な出来事に、去年後半から今年の1月末
    2月初めにまでかけて、心の痛むこと、荒むことが多くありました。

    しかしそれはファンだけではなく、もしかしたら……
    光ちゃんにとっても、同じような感覚の日々であったのかも知れない。
    今年のSHOCKを観て、そんな風にも感じました。

    あの物語のメインテーマは 「何のために走り続けるのか?」
    それは言わずと知れたことです。
    更にあの物語はショーマンの永遠の教科書でもあると
    光ちゃんも自負しています。
    実際 あの演目初演当時から、舞台上で台詞として実際に
    「何のために走り続けるのか?」 と言う言葉が使われてきました。

    そしてもう一つのキーワード。
    Show must go on.
    一旦ステージの上に立ったからには、最後までキチンとやり遂げねばならない。
    光ちゃんは中学生の時からそれを肌と体で直に感じ取り、実践してきた人です。

    舞台・ライヴ・コンサート。。
    どんな場も、その時その時に出来る最大限の力を出し切り
    その段階で、もうこれ以上は到底出来ない。
    そういうレベルのものを提供して初めて舞台とかコンサートと
    光ちゃんは呼ぶのではないか。
    そこまで出来るのが、やるのが当たり前で
    そうでないのなら、そうできないのなら……というくらいの覚悟を持って
    光ちゃんはそこに立つ人だと思うから。

    また 元々あの物語は光ちゃん自身のことを描いたのでは?
    と錯覚するくらい、光ちゃんにダブる部分が多く出てきます。
    台詞ひとつとってみても、そう感じる部分が多くあります。

    そのふたつの言葉(キーワード)に加え、
    今年新たに “更に強調して”あの舞台上で何度か台詞としても出てきた言葉。

    「ショーはひとりではできない。」
    「皆がひとつになって初めて良いものが出来る。」

    この二つ。
    この台詞を聞くと、私はつい自然に去年のあのGのダラダラ・コンを思い出すのです。
    いえ、本当は去年だけに限ったことではないけれど
    去年は殊更そうだった、と言った方がいいのかも知れないです。
    (または今までのことが積もり積もった、とも言えるのかも知れない。)

    どちらにせよ、光ちゃんにとって舞台やステージと言うのは
    そこに来たお客を楽しませ、夢を見せ、力を与える場。
    神聖な場。
    でも現実は……。

    結果的にそうできなかったステージがほとんどと言っていいほどの去年のGのコン。
    心を痛め、傷ついているファンがいる。
    コンサートをしても、会場にはもう来れなくなってしまったファンがいる。
    そして今そこに来てくれているファンも、コンサートを楽しんでいる面も無論あるけど
    どこか変に緊張して、ぴりぴり神経を尖らせている部分がある。

    光ちゃんはそれをちゃんと知っていてくれていた。気づいていてくれていた。
    そしてそのようなステージングになってしまったことを
    最も愁い、心を痛めたのも光ちゃん自身だった。

    もどかしく思っていたに違いない。
    もしかしたらファンよりも、
    もっと傷ついていたのは光ちゃん自身かも知れない。
    そんな可能性だって決して否定できないと私は想像するのです。

    ふたりしかいないGでありながら、見ている方向は見事すぎるくらい真逆。
    その上、常に最高のものを提供したいと言うのが光ちゃんの信条なのに
    現実それが出来ない。
    大体がそのレベルを目指すような段階にすら進めていないのが現状。

    しかし、ことを荒立てずに物事を進めて行くには、
    光ちゃんとしては、妥協せねばならない上に
    一番気を使わねばならぬのは、本来一番大切なはずの観客ではなく、
    Gのもうひとりの要員。

    その上、観客の中には、音楽性や、コンの内容よりも
    “二人のパフォーマンス”(同人及び、いちゃつキッズ大好き至上主義)
    それのみを主な目的としてやってくる人が少なからずいると言う現実。

    ファン自体もあのGには失望しまくりだけど、
    当の光ちゃん自身もそうなんじゃないか、いえ
    今まで必死に支えてきた分だけ、今の現状を最も嘆いているのは
    光ちゃん自身かも知れない。

    「ショーはひとりではできない。」
    「皆がひとつになって初めて良いものが出来る。」

    もしかしたら光ちゃんファンよりも誰よりも
    光ちゃん自身が一番傷つき、歯痒く、悔しかったのかも知れない。
    そんな風にも思えるのです。

    光ちゃんがソロ・チーム光一やSHOCKチームの中の光一としていられる時。
    それが光ちゃんにとっても
    最もしあわせで、最も自分が目指すべき方向に進める場。
    それこそが光ちゃんの最大の喜びではないのだろうか。

    失望と挫折続きのG活動の中で、光ちゃんを支えた大きな柱のひとつに
    ソロ・チーム光一やSHOCKチームがあったからこそ
    光ちゃんも何とか己を支えてこられた部分も少なからずあるのではないか。
    そう想像してしまうのです。

    今年 
    「ショーはひとりではできない。」
    「皆がひとつになって初めて良いものが出来る。」
    このふたつの言葉を大きくクローズアップしたのは(そう感じたのは)
    Gではもう決して光ちゃんの目指す方向性には進めない
    つまりプロとしての最低限のクオリティーすら保てない。
    そんな現実をファンに詫びる気持ちがなかったとは
    言いきれないのではないのだろうか。
    そんな風にも感じたのです。

    また、私にはあの舞台を通して、光ちゃんが本当にしたかったこと
    目指していたことを再度訴えているような気がしてきたのです。

    それを裏付ける根拠は……。
    今年、植草さんがオーナーを演じてくれることになったので、
    光ちゃんは思い切ってあの舞台の方向転換を図ったように感じました。

    あそこで演じられたのは、確かにSHOCKという演目だった。
    だけど、そこで展開されたストーリーの流れは……
    ひとつのコンサートやライヴの流れのようにも感じたのです。

    舞台もコンサートもライヴも、まずは下準備から始まり
    打ち合わせ、セトリの決定、練習、そしてまた打ち合わせ
    それを繰り返して、やがて本番、そしてオーラス、打ち上げや反省会。

    しかしそれが例えソロコンであろうと、
    思い描いたものが全て実現できるとは限らない。
    色々な縛りと言うものは、どんな場にもついてまわるから。
    ましてGのように複数人数でやるとなれば尚更。
    また、それに関わってくれるスタッフさんやダンサーさん、
    バンドのみなさん等 諸々の陰の立役者の方々もいらっしゃる。

    それらの人々の事情や立場、役割等も当然頭に入れて考えねばならない。
    ひとつのステージを作りだすまでには、私のようなド素人には
    恐らく想像も出来ないほどのことが山積みになっているのだろうと思うし
    その様々な条件の中から、最良のものを究極に選択するのだから
    時にぶつかり、時にすれ違い、または共有し、様々な紆余曲折を経て
    やっと本番に至るのだろうと思う。

    で、本番が始まれば始まったで、ステージが単調にならぬよう
    色々な場面や曲目を練りこんで考え、それを展開する。
    またその場の空気次第で出来る範囲内で急遽変更したり、加減することだって、
    見ている方は気付かないだけで、実際にはよくあることではないかと推察します。

    だけどどんなに楽しく、最高の楽曲等を提供していても
    最初から最後までずっとそれが続いたら、観客は疲れてしまう。
    だから適当な息抜きも兼ねてMCというものがあるような気がします。
    (ド素人感覚の考えを元にモノを言っているので申し訳ありません)

    そのMCが適度に緊張感を解してくれつつ、またアーティストさんたちの
    素の部分が垣間見れたりする場でもあるので、それはそれで
    ファンにとっては楽曲提供の場面とはまた違うお楽しみの場でもある筈。
    そして適当にお互いに良い意味で休憩や気分転換をはかったなら
    再度また楽曲提供等の場面に戻って行き、やがてラストへと向かって行く。
    これが極 大雑把な一般的なコンサートの流れではないのかしら
    と推察しているのですが……。

    さて話を元に戻して。
    今年のSHOCKは少年隊の中でも、比較的三枚目役が多い植草さんが参加。
    光ちゃんはその植草さんに色々相談したりアドバイスもいただいたよう。
    その中には演技指導もあったことは容易に想像できるし
    全体の流れについても同様のことがあっただろうとも思えます。
    そういう話の流れ的な中で、光ちゃんはもしかしたら思ったのかも?
    と、私は妄想したのです。

    あの舞台の中で、自分のやりたかった、目指したかったGでのコンサート
    または本来あるべきコンサートの姿、それを再現してみたかったのかしら? と。

    去年までのSHOCKでは、アドリブ部分は2幕でのコウイチ復活の場
    主にそこだけに絞られ、集約されていました。
    自分的な好みでは、私はその方がメリハリがついて好きでした。
    しかし今年のSHOCKは随所にアドリブ部分が散りばめられ
    裂かれる時間も格段に増えました。
    またそのアドリブも、時には行きすぎかも? と思うくらいに炸裂し
    観客は勿論のこと、時には演者までが巻き込まれて笑いをこらえきれなくなる
    そんな場面や日もあったようです。

    故に自分的な受け止め方だと、初見の時には
    そのたびに芝居がブツブツ分断され、流れが止まったり
    疾走感がなくなってしまった感が強く残りました。
    そこが観劇2回目を見るまでは とても不満でした。

    中には、アドリブが行き過ぎていて、その中にふと
    コウイチではなく、素の光一が見えてしまってイヤ。
    そう仰っているブロガーさんや、他の人の御意見も聞きました。

    ああ そうも言えるわね。
    その御意見を聞いて、私の抱いた違和感もそれだったのかも、とも思いました。

    ですが、my千穐楽後。ふと思ったのです。
    あのアドリブは、コンサートで例えるならMC。
    そう解釈するとしたら……。
    アリだな、と思ったのです。

    更にまたそれはそれで別のところで座長さまはあの物語で釘をさしつつ
    希望も述べています。

    夜の海。
    精神性の高い、あの舞は、本当に一糸乱れぬ素晴らしい舞。
    その舞に載せて、コウイチに向けてかけられる仲間の言葉。

    「答えを見つけながら歩いて行くよ。」
    「ひとつの方向に向かって(中略)だけどそれは慣れ合うことじゃないんだよな。」
    (ちょっと曖昧、ニュアンスです)
    ……なんてね。

    非常に突飛で何たる解釈! と怒られそうですが
    何となくそんな印象も抱いてしまったアホファン、ここに一人です。


    あと、先回書き忘れたのですが
    某所で拝読した1幕ラスト、例の階段上での出来事です。

    マチダは予備の刀が真剣だとは気付かずにコウイチに渡した。
    しかしコウイチは、その刀が真剣だと気づくと間もなく
    その刀を真剣にすり替えたのが誰なのか気づいていたのでは?
    との解釈を読ませていただいたのですが……。

    その時私は 「ふーん、そういう解釈もあるんだ。」
    くらいで、そんなに深くは考えずにいましたが、その後暫く経ってから
    やはりあれはその通りなのではないかと思うようになりました。
    (今ではドコで拝読したのかも記憶が曖昧なのですが)

    だからコウイチは余計に我を見失ったんだろうな、と。

    (ちょっと話はそれますが、またこれはmy初日に感じたのですが、オーナーもまた
     真剣にすり替えたのが誰であったのか、知っていたんだな、と思えました。
     オーナーの夢の中で、リチャードをヤラが演じるのがその裏付けなんでしょう。)

    話を戻して。
    去年までのコウイチは、すり替えられた刀をヤラに突き付けただけでした。
    しかし今年のコウイチは、その真剣を床に突き刺しました。
    冷静さを欠いていたと言う強い表現であると共に、
    「何でこんなことを?!」 というコウイチの怒りがさせた行動でもあったと
    あとで思ったのです。

    Show must go on 精神を無理やり止めようとするヤラに対する怒りと悲しみ失望
    結果、それがより強い挑発となって、余計にヤラを追い詰めました。

    床に突き刺した真剣を 「抜け―――――――!」 と叫び
    抜いたらば今度は無理矢理 「来―――――――い!」 と……。

    あと、オン・ブロードウェイの舞台裏で既に足もとが見えなくなりかけていたコウイチ。
    故に放ってしまった言葉。

    「お前はもう舞台に立つな。」
    「俺抜きでやれよ!俺の立ち位置もお前がやればいい!」

    行き過ぎた挑発がヤラに火を付けてしまった。
    ヤラはヤラで、冷静で正常な精神状態であれば、
    その言葉もまたいつものコウイチらしい挑発の言葉として受け止め
    這い上がって行けたのかもしれないけれど、そうではなかった。
    コウイチも、既にヤラがそこまでになっていたとは見抜けなかった。

    起きるべくして起きてしまった事故、悲劇。
    それが何ともやり切れないのだけれど、それほどまで
    あの世界は過酷な世界だと言う証。

    常にその時点で出来得る最良のものを……と言う、実にシンプルなことが
    どれほど難しいことなのか。
    余程の精神力と向上心を持った者でないと生きていけない世界なのだなと
    改めて考えさせられる場面です。

    また 舞台は生き物 
    座長さまはいつもそう言っています。
    それがどれほど恐ろしいことなのか。
    何時、何が起きるか分からない。予想も出来ない。
    その中で常に戦ってき続けた座長さまは肌身を通してその難しさや怖さ
    そして万一何か起きてしまったのならば、瞬時に全てを判断し
    進むべく方向を決めて前に向かって走り続けねばならない立場にある。

    思えば若干21歳の青年にとって、それがどれほどの重圧であったか。
    そういう幾多の修羅場をくぐり抜けてきた人故に創り上げることが出来た物語。
    それがEndless SHOCKなのだろうな、とも思うのです。

    そのSHOCKも今年で10年。
    若干21歳だった若き座長さまも、今では気品あふれる、堂々とした
    立派な座長さまに何倍にも、大きく 大きく成長されました。
    今や押しも押されもせぬ、大舞台の座長さまです。
    日本の舞台史に残る舞台の座長さまです。

    そんな人の演じる、率いるカンパニーの舞台を観られたことのしあわせ。
    今日もまだ しみじみと噛みしめさせていただいています。


     3/27(金 )Look at Star
       625回カーテンコールの模様掲載

     webザ・テレビジョン
       堂本光一の「Endless SHOCK」が帝国劇場の公演記録を更新
        http://blog.television.co.jp/entertainment/entnews/2009/03/20090324_03.html

     4/1(水) TV station
       Endless SHOCK新記録達成 カーテンコールの模様
        http://tvstation.jp/next.html  (http://tvstation.jp/magazine/utop/b/tp_tal_3.html)


    3月23日 菊Pさま御一行、SHOCK観劇とのこと。
    またもう1度、今度はたかみーさんと建さんと一緒に観劇予定とか。
    P日記に「優しくしてね。」 とあるそうですがどういう意味でしょう?
    邪悪な人は邪悪な発想しか出来ないから、
    そういう言葉が知らず知らずのうちに出るのかしらね? (¬。¬)
    何だか彼がまた観るために座席が一席少なくなるのは勿体ないわ~。

     web拍手 ありがとうございました。 に
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